高校時代の部活動24

こんにちは。
4回生の市原です。
私の高校時の部活動は、ヨット部です。

高校からヨットを始めたわけですが、入部したら北方さんという方に出会いました。最初は『誰だこのおじさん。』と思いましたが、部活動をしていくうちに、先輩方を怒鳴る姿を見ると怖さを感じました。そして監督だと知らされた時はびっくりしました。高校の時の部活動は、ヨット競技をしている感覚はありませんでした。監督に怯える毎日でした。
  一年生の時は無邪気にヨットを楽しんでいて、監督も一年生の私たちに怒ることはありませんでした。しかし、二年生になりレギュラー争いになったとき、監督に言われたことは『お前は太っているからヨットに乗せん』といわれ自分の同期がレギュラーとして出場する中、本当にヨットに乗れず、試合にも出してもらえませんでした。
   
確かに太っていて70キロオバーだった私はヨットに乗れるような体型じゃなかったです。そんなことを言われた私は、なぜヨット部に入ったのにヨットに乗れないんだろうと思い悔しすぎました。そのとき単純に痩せたらヨットに乗れるのだと思いダイエットを始めました。ヨットが大好きだった私は、断食をしても苦じゃありませんでした。だから、朝ごはんなし、昼ごはんなし、夜ご飯はおかずのみ。の毎日を繰り返しました。

その頃の私はたんぱく質が足りてなかったのでエネルギーがなく毎日ヘトヘトでした。みんながヨットを乗ってる中、ヨットに乗らずにハーバーの回りを走ったり、トレーニングした日もあります。とてもつらかったです。その頃、監督は海外のレースの運営だったため、いませんでした。
そして2ヶ月が経ち私は体重を10キロ落とすことができました。監督が遠征から帰ってきたとき、『誰やお前は』といわれました。誰かわからないぐらい、体型変化していたのです。これでヨットに乗せてくれると思ったのですが、今までヨットに乗っていなかったので、技術が全くありませんでした。

なのでヨットに乗れたのですが、試合に出してもらうことはありませんでした。そのとき悔しくて悔しくて、自分に強みを持とうと決めました。当時の私の強みは誰にも負けないやる気だったと思います。それを監督に向かって『来年のワールドどうしても出たいです。出させてください。』と言いに行きました。その言動に監督も答えてくれるかのように、私を初めてレギュラーとして420のレースに出させてくれました。それが初めてのレギュラーだったので泣きそうでした。

しかし、ワールドにいくための権利をとることができませんでした。当時の私はワールドにしか目がなかったため、インターハイへのモチベーションは、下がっていました。私は完全に諦めました。監督もそれを見据えてインターハイに出してくれませんでした。モチベーションがないと試合にも出してくれなかったです。反省しました。監督にすごく申し訳なかったです。

  しかし監督はインターハイが終わったあと福岡大学に行けるようにしてくれました。これは僕が大学で花を咲かせるように、監督からのメッセージだと思いました。
  だから、今は誰にも負けないぐらいモチベーションや、精神力や、やる気を持たないと自分に成長はないと思ってます。

  高校時代は、ヨット競技の実力は何一つありませんでしたが、大学になった私は高校の経験をいかして、最後のインカレに望みたいと思います。

最後に北方さん、僕を後輩にしてくれてありがとうございます。先輩は選べませんが、北方監督の後輩にはなれてよかったです。